昔、東の方に禍事あり。その地には、ササレヒコという者の治める、イヒという里があった。
ササレヒコの子、オスナヒコは文武に優れ、度々大王のもとに召し上げられては、諸国を渡り歩いた。旅の帰りには、イヒの里に様々な知恵をもたらした。そのオスナヒコが、老いた父を扶けて里を治め始めるようになった頃には、里の暮らしは大層豊かなものになっていたという。
ある時、オスナヒコが海を隔てた外ッ国に遣わされ、 5 年の月日を経て里に戻って来た。 ( ※ 1) それからというもの、オスナヒコは下女をひどく怒鳴りつける日もあれば、終日野の花を愛でて歩く日もあるなど、まるで人が変わった様な振る舞いを示すようになった。
暫く経った月の無い夜、倅が一人館を抜け出したところを見た父のササレヒコが、これを怪しみ後をつけたが、ヒカミという谷の手前でとうとう感付かれてしまった。 (※2) ササレヒコが呼びかけると 、オスナヒコの影が見る見る内に形を変え、八つ目の大きな獣の姿となった。
驚いたササレヒコはその場に尻餅をついてしまい、その場にひれ伏してしまった。その時、館の方からオスナヒコがもう一人、戦装束に身を固めてやって来るではないか。駆けつけたオスナヒコは窮地の父を認めるなり、手にした矛で以て瞬く間に獣を退治してしまった。 ( ※ 3)
オスナヒコは、己に化けて成り代わろうとしていた獣を泳がせ、人の身の真似に堪えきれず正体を現すまで、様子を窺っていたのだという。その武勇を讃えた父ササレヒコは、以来オスナヒコに里を治めること全てを任せた。
自ら退いた父の後を継ぎ、里の長となったオスナヒコは、祭礼の宴の中で、かねてより心を寄せていた同郷のシヤリヒメを娶り、その夜には夫婦共に寝屋へと入った。ところがシヤリヒメは、相手の体が屍のように冷たく強ばっている事を不審に思い、夫に対しお前は何者かと問い掛けた。
夫がこの問いに答えず、傍らの剣に手を掛けたため、シヤリヒメは寝屋から飛び出して、館の者らに知らせて回った。後を追い掛けてきたオスナヒコが剣の切っ先で地を払うと、そこから土の人形 ( ※ 4) が幾十と湧き出して、館の者等を捕らえて回った。
夫の正体がオスナヒコを象った人形であったと見破ったシヤリヒメは、その夜の内に里の外へ逃れ、カアミの里 ( ※ 5) まで走り、助けを求めた。 3 日経ち、援軍がイヒの里に入る頃、家屋は壊され畑は荒らされ、生きた人間の姿は見られなかったという。オスナヒコは未だ、館に居座っていた。
シヤリヒメが呼び寄せた援軍は館になだれ込むと、屯っていた人形たちを次々砕いていった。対するオスナヒコが矛を振り回すと、援軍の兵が次々倒れていった。しかし、次第に分が悪くなったオスナヒコは、遂に館を飛び出し、吾鹿山(あじかやま)の麓の谷に立て篭って戦った。
谷地の奥底まで追い詰められたオスナヒコが、いま再び敵を突こうと岩屋から出て来たところ、岩陰に潜んでいたトハネヒコという若者に矛で貫かれ、そのまま谷底に突き落とされた。トハネヒコが岩屋の奥を覗くと、痩せ細ったオスナヒコその人の亡骸が横たわっていたという。 ( ※ 6)
以降、イヒの地はカアミの勢力下に含まれながら、土地の祭祀はシヤリヒメに託され、その筋は代々、オスナヒコの魂を鎮めていたとされる。
注
※ 1 オスナヒコの帰郷の折、大王から賜った不老不死の妙薬を持ち帰り、山中にこれを納め祀った、又は服用したというパターンが組み込まれた伝承も存在する。
※ 2 後をつけた事に感づかれた場所である事から、当地が彼が見(日上、樋上)と呼ばれる様になったとされる。近年の区画整備により字は消滅してしまったが、現在はヒガミ塚古墳にその名を残している。
※ 3 ヒカミ周辺の怪物伝承は、後世の創作と思われる民話にも遺されており、塚から出た化け物を僧侶が諭し、山野へ逃がす旨の物語が伝えられている。
※ 4 祭祀用に製造されていた土人形の量産を指す表現か。イヒの里推定地にて発見される人形の土製品は、どれも意図的に破壊された状態で出土している。
※ 5 東都の中西部に所在する甕山・樺根沢遺跡群付近と推定される。
※ 6 岩屋の中について、オスナヒコの亡骸と共に巫女の人形が居たが、訳を語ると役目を終えてか谷底へ身を投げた、という伝承も存在する。
※7 この物語はフィクションです。実在する人名・地名その他諸々とは一切!!関係が!!ありませぬ!!以上ッ!!